記憶法&発想法―頭がよくなる脳の使い方
記憶術とは
記憶と創造の脳科学   記憶術とは?  創造力の鍛え方  アイデア発想法   記憶術初心者講座

紀元前ギリシャで生まれ、ローマで育った記憶術

記憶術のルーツと現代までの歴史。

 現在、さまざまな流儀があるかのように見える記憶術のルーツは、古代ギリシャにあるというのが定説となっています。そして、少なくともローマ時代には現代のレベルと変わらない記憶術が完成していたと考えられています。

 日本には明治二十年代に欧米から入ってきた記憶術がブームとなり、いったん廃れた後、昭和50年代頃から受験対策としての記憶術が盛んになってきました。ここではそうした記憶術の歴史を、古代ギリシャから現代までたどってみたいと思います。

歴史に残る最古の記憶術、シモニデスと大地震

 記憶術が存在したことが文献上、確認できる最も古いものは、紀元前5〜6世紀の古代ギリシャです。大地震の際、シモニデスという抒情詩人がある宴会場でただ一人助かったことから、記憶術の存在が記録に残ることになりました。

 シモニデスがそこで演説を終えた後、たまたま建物の外に出た直後に地面が大きく揺れて、建物が倒壊したのです。宴会の出席者は全員死に、しかも遺体は損傷が激しくて、家族でも見分けられないほどでした。その時、シモニデスが何と宴会の席順を全員覚えていたのです。

 シモニデスは柱や家具調度品など、目印になる場所に順番に人を結び付けて覚えていたのですが、この方法が記憶術の原型として後世に知られるようになったのです。

ローマ時代、キケロの記憶術は弁論術だった

 古代ギリシャの記憶術はその後、ある無名のラテン人によって本として記され、その本が紀元前後の古代ローマに伝わりました。そして、記憶術はローマ、で高度なレベルで花開くことになります。それは当時、どんなに長い演説でも草稿を見てはいけなかったため、記憶術が必要だったのです。

 中でも哲学者・政治家・弁論家のキケロという人は、3時間休まず演説を続け、その言葉は草稿とまったく同じだったそうです。キケロは「弁論家について」という記憶術の本を書き、後世のヨーロッパにそのノウハウを伝えています。

ルネッサンスで復興するもやがて衰退…

 記憶術は弁論術として発展した後、いったん歴史の舞台から影をひそめます。そして、文芸復興のルネサンス時代に、カミッロやブルーノといった記憶学者が登場し、実用に役立つ記憶術の復活を目指して活動をします。カミッロは16世紀に「記憶劇場」というものを建設して、さまざまな神々の彫像や円柱を劇場内に配しました。これを利用して演説の内容を記憶術で覚えようというものです。

 その後、近世になると科学が発達し、記憶を生理学的に研究するようになると、映像的な想像力を利用して覚える記憶術は否定されるようになりました。わずかに、聖書を覚える際に記憶術を利用するといった形で、細々と生き延びていたのです。

明治二十年代にブームになった舶来の記憶術

 日本の記憶術は、長い鎖国時代が明けて立身出世主義の風潮が高まる明治二十年代に一気に花開きます。欧米の記憶術本が翻訳され、またいち早く記憶術を身につけた人が、「○○流」と自分の名を冠した記憶術を発表するなどして、少なくとも十数冊の本が発表されました。

 中でも、帝国ホテルで記憶術の大実演会を開いて話題作りをした和田守菊次郎や、仏教哲学者の井上円了が有名で、当時の世相を記した文献に詳しく紹介されています。

石原誠之〜渡辺剛彰、記憶術大衆化の時代

 

 明治の記憶術ブームが去った後、日本では昭和の初期に石原誠之という「記憶のプロ」が登場します。当時、「世界一の記憶術家」と言われた石原誠之は、鎌田という心理学者の研究によって歴史に残ることになりました。その心理学者の論文によると、石原は100ケタの数字を174秒で、また204ケタの数字を5分54秒で覚えてしまったそうです。その方法は、心理学の論文として詳しく記されており、今日の記憶術とまったく同じものであったことが分かっています。

 戦後の日本の記憶術界は、記憶術でビリからトップになり、東大合格後、在学中に司法試験に合格した渡辺剛彰が登場し、記憶術の大衆的な普及に大きく貢献しました。

 また、円周率に特化した記憶術の分野では、友寄英哲が自ら作った世界記録を何度も更新して4万ケタ暗唱を樹立しました。その後、原口證という超人が現れ、友寄の記録を破ると前人未到の道を歩んで、ついに驚異の10万ケタ暗唱を達成。世界中の円周率記憶チャレンジャーの夢と希望を奪い去りました。

  トップ   HOME  >    記憶術とは(index)